¿Qué bolá?(調子はどう?) DEKAEです。
2015年末、中米の島国キューバで年越しを迎えました。
その際キューバの民泊『カーサ・パルティクラル』のカウントダウンパーティにお招きいただき、みんなで新年をお祝い!
ラテンなフィエスタ(パーティ)の様子、そしてキューバでの年越しの過ごし方をご紹介します。
カーサ・パルティクラルについてはこちらの記事で詳しく触れています。
ヘルディとミシェルのカーサ
さて、今回お邪魔したのは『Geldys y Michel』というカーサ。
日本を発つ前からSNSを通じて連絡を取っていたヘルディさんと、そのご主人ミシェルさんのお宅です。
こちらには一泊しかできなかったものの、キューバ滞在中の全ての宿をヘルディに手配いただきました。
その際、「大晦日の夜は友達や家族を招いてパーティを開くから、良かったら遊びに来てね!」とお誘いがあったのです。
私も典型的な日本人、普段なら社交辞令ととらえて笑顔でお礼を述べるに留めるところですが…ここはキューバ。
もしかして本気なのかも…と不安になり、チェックアウトまでに「本当に来ていいんですか?」と二度くらい尋ねました←
そしてありがたいことに「もちろん、来なかったらビンタよ!」と言ってくださったので、のこのこと出かけていったというわけです。
豚の丸焼きとダンスパーティ
さて、再び『Geldys y Michel』に到着。
その場にいたのは その日宿泊していた北欧から来たというご夫婦。しばらくすると、その前に宿泊していたフランス人の一人旅オジサンも来ました。
さらに遅れること数分、そのオジサンがハバナで出会って誘ったという他のフランス人集団がぞろぞろとやって来ます。
まさかそんな状況になるとは想像していなかったので硬直気味。
し・か・も!
こういうのって持ち寄りがマナーなのか、皆さんお酒持参。私はと言うと日本から持ってきていたチップスター1本だけ…
ま、若者は私一人だったので大目に見てもらえていたと信じたい。ちなみにチップスターは大変好評でしたw
ヘルディのご両親・そして息子さんも登場し、みんなで乾杯してディナーが始まりました。
料理上手のミシェルがたくさんのご馳走でもてなしてくれます。
キューバでは、祭やお祝いの場で豚を炭火で丸焼きにするのが名物。これを模した豚の厚切り肉のローストも出てきました!
皆さんとの会話に全神経を集中させるあまり写真を撮り損ねるという…。
食事が終わるとダンスパーティに突入!
実はヘルディはプロのサルサダンサー兼講師。息子さんもダンサーとのことで、二人で踊ってくれました。
どちらかと言うと「フランス人宅に招かれたキューバ人」って感じの構図ですね。
この後サルサのレクチャーが始まり、座って見ていた私も踊らされました。
「はい、ステップ!」「もっとしっかり私の腰を支えて!」などなど厳しく指導されて大変なことに…
ヘルディのご両親。お父様もプロのダンサーだったそうで、めちゃくちゃ姿勢が良くてカッコいいのです
カウントダウンとバケツ
年越しの瞬間が迫る頃、みんなで窓際に集まって花火などを見ていました。
そうそう、この日はアメリカから豪華客船もやってきていたのです。
折しも2015年7月、54年ぶりにアメリカとキューバの国交が回復。それを象徴するような光景です。
2019年6月に再度クルーズ船の乗り入れ禁止令が出ちゃいましたけど…
いよいよカウントダウンの瞬間。
キューバは年越しの瞬間、階下に水をぶちまけるという謎の習慣があります。写真はバケツに水を入れて待機しているところ。
そして年が明けると同時にミシェルが下に「いくぞー!」と叫び…
バッシャーンと水をまいて、2016年の幕開け!!
その場にいる全員と、一人一人「ハッピーニューイヤー!」と言いながらハグします。
典型的日本人たる私、どうしようどうしようと思いながら必死に皆さんに抱きつきました。良い経験をさせていただいたと思っています←
高級ホテルで仲間と乾杯もいいですが、このローカル感はカーサでしか味わえないものです。人との交流こそがカーサの魅力ですね。
おわりに
改めて私のキューバ滞在中、あらゆる面でお世話いただいた(というか迷惑をかけた)ヘルディに深謝申し上げます。
ところで私が滞在した2015年から2016年にかけてのカウントダウン。この時はあのフィデル・カストロがまだ存命だったのです。
元旦の6:00発の飛行機に乗らなければならず、彼の最後の新年の挨拶を聴けなかったのが悔やまれる…
図らずも米国との国交回復(2015年7月)、そしてフィデル・カストロの死(2016年11月)というエポックの狭間にいた私。何だか不思議な気分です(遠い目)
関連記事
おしまい