(承前)「トマス・ピンチョン全小説」をご紹介する記事の後編です。
前編はこちら
- 【第四位】競売ナンバー49の叫び/The Crying of Lot 49(1966)
- 【第五位】V./V.(1963)
- 【第六位】メイスン&ディクスン/Mason & Dixon(1997)
- 【第七位】LAヴァイス/Inherent Vice(2009)
- 【第八位】重力の虹/Gravity's Rainbow(1973)
- 【短編集】スロー・ラーナー/Slow Learner(1984)
- おわりに
【第四位】競売ナンバー49の叫び/The Crying of Lot 49(1966)
(訳:佐藤良明)
中編小説。その短さゆえに入門編に位置づけられることが多いようです。
主人公は平凡な生活を送っていた主婦エディパ。ある日彼女は、かつて関係のあったカリフォルニア不動産界の超大物、ピアスの遺言執行人になっていることを知らされます。
ピアスが遺した切手コレクションに秘密が隠されていることに気付き、その謎を探り始めるエディパ。そこには大いなる歴史の闇が――
と、ミステリー小説調で進んでいきます。記号論、秘密結社、暗号…こういったワードにピンとくる方はお手にとってみてください。
タイトルの「叫び」はラストシーンのオークションに関連するもの。
49という数字は、(アラスカとハワイが加わる前の)合衆国において存在しなかった「もうひとつの州」から?という考察もみられます。
作家本人も後に語っているように、小説としては少々物足りないかもしれません。これを読んで「何だこんなもんか」とは思わないでいただきたいところ…
以下、ちょっとしたポイントを。
・この作品は、「収縮する」という意味の単語shrinkを、初めて「精神科医」の意味で用いた英語文献として知られています。
・「V.」に引き続き、ピンチョンお気に入りの「カズー協奏曲」(ヴィヴァルディ作曲)が登場。もちろん作家のでっち上げですが、これをネタにして実際に演奏している動画がYouTubeで見られます。
・アンダー・ザ・シルバーレイク(2018)という映画は、この本から多大な影響を受けているのではないか…と個人的に考えています。
【第五位】V./V.(1963)
(訳:小山太一、佐藤良明)
ピンチョンの長編デビュー作にして、フォークナー賞受賞作。何とこれを上梓した時の彼は25歳です。
かたや私はこれを25歳の時に読み、ひたすら戦慄するのみ…というか「よく分からん」というのが正直な感想でした。笑
主人公が二人います。一人は「木偶の坊」「人間ヨーヨー」の異名をもつアメリカ人、プロフェイン。無気力で、気付いたら元の「路上」に戻っている人物ですね。
もう一人のステンシルは、亡き父が遺した「V.」という言葉に憑りつかれ、その謎を追うイギリス人です。彼の周囲にはVのイニシャルをもつ思わせぶりなキャラクターが続々登場。
この二人が成り行きで行動を共にするように。正体不明の美女パオラとともに、陰謀渦巻く地・マルタを目指します。
ストーリーにも二つの軸があり、上の二人が生きる「現在」と、ステンシルの父が紡ぐ「過去」が交互に語られるという構造になっています。
やっかいなのが、語りの中にステンシルの妄想が過分に入ってくるのです。現実と空想の境目が曖昧なために、極めて難解な印象に。
幼きピンチョンが傾倒したスパイ小説の影響や、シュルレアリスムの表現も不気味に花開いています。
【第六位】メイスン&ディクスン/Mason & Dixon(1997)
(訳:柴田元幸)
アメリカ合衆国の州境を定める「メイソン=ディクソン線」を引いた、実在の人物の半生を描いた作品。
彼らの測量の旅路を追う構成になっていますが、もちろん伝記ではありません。ありえない設定の街や人ならぬ者が次々現れる、爆笑珍道中に仕立てられています。
プロットは非常に平易なんですが、とにかく訳文のクセが強い。
原文が当時(19世紀後半)のイギリス英語を真似て書かれているためで、それを表現するためにやたら格式ばった語り口になっているんです。
さらに、外来語には漢字を充てフリガナを振るという形式をとっています(パンは「麺麭」、ブーツは「深靴」など)。
この明治時代っぽさがものすごく読みづらいので、購入する前にパラパラと目を通してみたほうがいいでしょう。慣れれば気にならないんですけど…
ただ、一つ一つの章が短く区切られているため少しずつ読み進めたい派には最適。
ピンチョンの膨大な科学知識が惜しみなく披歴されます。文系の私にはほぼ理解できませんが(←)、話の本筋はたどれるので大丈夫です。
メイスンとディクスンの後日譚まで書かれており、読後の喪失感が大きい。そのために読み返すのを躊躇しています…
長い旅を共にして最期まで看取るわけですからね、いうなれば朝ドラロスみたいな?
【第七位】LAヴァイス/Inherent Vice(2009)
(訳:栩木玲子、佐藤良明)
貸出中…
私が初めて読んだピンチョン作品がこれでした。プロットはこんな感じ。
マリファナ中毒の探偵ドクのもとに、かつての恋人シャスタが訪ねてくる。彼女の依頼は現在交際している不動産界の大物、ミッキーを救うことだった。調査を開始したドクは何者かに襲われ、気を失ってしまう。目覚めた彼はミッキーが失踪したことを知り――
わりと短め、かつ探偵小説の体裁で「初めてのピンチョンにおすすめ!」と聞いていたのですが…
よく挫折しなかったな、というくらい意味不明でした←
まぁ「他の作品も読んでみたい」と思わせるような、何かしらの魅力があったことは確かですが。
ピンチョン作品で唯一、2014年に映画化されています(「インヒアレント・ヴァイス」監督:ポール・トーマス・アンダーソン)。
タイトルは小説の原題のままで、不動産用語で「固有の瑕疵」のことだそうです。
映画で観ても話はさっぱり理解できなかったので、そんなもんかと思って諦めがつきましたw
【第八位】重力の虹/Gravity's Rainbow(1973)
(訳:佐藤良明)
途中で放置した期間などもあり、読み終わるのに1年以上かかった超大作。笑
1974年度の全米図書賞受賞。その授賞式に本人は出席せず、アーウィン・コーリーというコメディアンが代わりに登壇してギャグを連発したという伝説的作品です。
というわけで、ピンチョンの名声を決定的たらしめた代表作にして、最難関の長編。
プロットはこのような感じかな(超ざっくり)。
第二次世界大戦末期のロンドン。駐英アメリカ軍人スロースロップは、自分が勃起した場所にドイツ軍のV2ロケットが落ちるという相関関係に気づく。何か仕組まれているのではと訝しみ、秘密を探るためにドイツへ向かうのだが――
てなわけで、主人公が行く先々で女性と関係を持ちながら陰謀に近づいていく話です。もうこの時点でくだらない(褒めている)。
後半、しばらく主人公が出てこないな〜と思っていたら、結局出てこないまま終わりました。「流出」したらしいことが仄めかされますが、マジで謎です。
あらゆるジャンルの知識と脈絡のない挿話が洪水のようにうねり、「百科事典が語り始めた」とも形容されるこの小説。
登場人物だけで300人超です。唐突に再登場されても「…どちら様でしたっけ?」みたいな。ハリポタすら挫折した私には荷が重い。
20世紀後半の英語文学の中で、最も研究されている一冊と言われるほか、アメリカの大学生が「読んだフリをする小説」第一位でもあるそうです。
あ、あとスカトロがあるので苦手な方は要注意…まぁ、過激な性描写が苦手だとピンチョンは何も読めないんですけどw
個人的には、題名と装丁の美しさゆえに今後も手放さないだろうな~と思う一冊。
【短編集】スロー・ラーナー/Slow Learner(1984)
(訳:佐藤良明)
後のピンチョン・ワールドの萌芽が見られる作品たちを収めた短編集。
確かに一つ一つが短いので読みやすいですが、できればこれは最後に読んでほしい…!
なぜなら学生時代に書いたものが中心で、ピンチョン作品としてはまだまだ未成熟だから。
また、序文で本人がかなりパーソナルな部分を明かしているのです。
「覆面作家」と言われていますが、自分が影響を受けた物事や作家志望者へのアドバイスなんかもあって、イメージが変わっちゃうんですよね。
…と言いつつ本国でこれが発刊されたのは「重力の虹」の後で、キャリア中盤よりちょっと前ぐらいなんですけど。
自分の若さが耐え難く恥ずかしいと言いつつ、流れるように展開していく各作品の解説が見事。
解説の中で時代背景や当時の思い出なんかもエッセイ風に書かれていますが、このエッセイもところどころ難しい…かなり噛み砕いてくれているけれど。
この短編集が発刊されることになった経緯は不明ですが、総括としての「スロー・ラーナー」というタイトル付けに、ユーモアのある自虐を感じます。
おわりに
いや~全て読み終わるまで長い旅路でした。しかも「ヴァインランド」を除いては一度しか通読しておらず、到底理解したとはいえない状態。
今後じっくり時間をかけて読み返していきたいと思っています。
ピンチョン作品ってあらすじを書くことが不可能なうえ、引っかかるポイントが人によって違うと思うんですよね。
そしていずれの作品も、さーっと読んでいると「荒唐無稽なエンタメ小説」という印象が残りがち。
が、実際は現代アメリカ―とりわけ後期資本主義―に対する静かな批判が通底していることが分かります。
こう読むとやはり「アメリカ人のためのアメリカ文学」という感じがして、一抹の寂しさを覚えなくもないのですが…
読者による考察や感想文もインターネットに溢れているので、いろいろ参考にしてみてくださいませ。
文壇の話題をさらい続けた作家も、すでに齢80を超える大御所。
2020年2月に突如公開されたインタビュー記事によると、今でも「クソほど仕事をしている」という発言も!?
新たなピンチョンワールドを見せてくれる日もそう遠くないかもしれません。まだまだ目の離せない御仁です。
アメリカ文学には欠かせない、長距離バスと鉄道。
おしまい